マリブのブログ

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

映画『STOP』の私的な感想―原発事故がもたらしたもの。被災者の怒りと覚悟―

STOP01

스톱/2015(韓国)/82分
監督/脚本:キム・ギドク
出演:中江翼、堀夏子、田代大吾、武田裕光、林雄大

 忘れる事

忘却にバイアスを傾けないと、やってられない事はごまんとある。

世界中を、目に見えない不安に陥れる新型コロナの恐怖でもそうだ。

あらゆる手段を尽くしても、その閉塞感を拭い去れなくなった時に、人はその話題を、きっと避ける様になっていくだろう。

・・或いは、根拠のない中国人への嫌悪感に繋がって行ったり。。

 

未来は変えられるが思い出は風化していく中で、東日本大震災から9年もの時が経った今では、あの頃世間を取り巻いていた目に見えない不安な気持ちだけは、すっかり薄れてきた。

クラスター感染予防の為、卒業式や人生の晴れ舞台をも奪われた学生達には深く同情を感じるけど、それと同時に、今中国人に向けひっそりと沸き起こるヘイト感情が、つい最近迄、未曽有の原発事故を引き起こした自分達にも向けられていた事を、この映画で改めて再認識してみてほしい。

そんな、一部の被災した日本人の怒りと不安心だけを目一杯封じ込めたこの映画は、自分達が無意識の内に忘れようとしてきた被災者に対する、まるで何かの祈りの様だ。
 

 

 

 

あらすじ

2011年3月11日、東日本大震災。
そして福島第一原発のメルトダウン。
5km圏内に住んでいた若い夫婦は東京への移住を決意した。
妊娠中の妻は放射能の赤ん坊への影響に不安を抱え、だんだん正気ではいられなくなる。
そんな中、謎の政府の役人が現れ中絶を強引に促す。
写真家である夫は、かつてのままの美しい自然や動物の写真を撮り、妻を安心させようと単身福島に戻ったのであったが、彼がそこで見たものは・・・。
Filmarksより引用

STOP02

 ストレートな台詞

映画を作るヒトって、なんか、ゴミの回収業者のヒトと同じ感覚なのね

なんて昔嘯かれた事があったけど、これは意外に的を得ている。

彼らの漠然とした使命感とモヤモヤした感情は、底辺とも呼ばれる社会で健気な生き方を模索している人達とリンクする事も割合多い。

 

カンヌを始め、あらゆる世界の映画賞を総ナメにしてきたキム・ギドク監督も、様々な角度からのバッシングを受けるのを覚悟の上で、きっと何かよくわからないこの感情に突き動かされたのだろう。

けれど、まるで自主映画の様に、脚本から撮影、録音、照明、更には配給まで個人の手で一手に背負って作り上げたこの映画は、それまでの彼の雰囲気とはまるで違う。

 

日本国内の俳優プロダクションからは総スカンを食らい、キャストは全員アングラ俳優。

そしてその演技力が格段に光っているというわけでもなく、あまりに前衛的な彼らの芝居は、お世辞にも大衆受けするものとは言い難い。

更に、キム・ギドク独特の繊細でアーティスティックな色使いも、画面には一切感じられない上に、物語もリアリティーを求める目線で観れば、随所にツッコミ処は満載だ。

何よりも残念なのは、結局この映画が公開されたのは、都内近郊の数館の劇場に留まり、大手レンタルショップの棚には、未だに並ぶ気配もない。

 

けれど、その久しくマイナーな処を逆手に取ったこの映画のウリは、劇中の台詞

詳細は控えるが、その粗削りな脚本からは、震災を経験した者のストレートな言葉が溢れかえる。

わざわざR15指定にする程の嫌悪感を抱く描写は、一瞬だが、あの当時の妊婦が抱えたであろう不安を、痛烈に瞼に焼き付け、それはどんな言葉よりも重い衝撃を与えてくる。

そして劇中とシンクロして、エピローグで綴られる彼らの被災から7年後の生活は、一見どこにでもある風景の様で、その漠然と彼らが決めた覚悟に、何か強い衝動のようなものを、感じずにはいられなくなってしまった。

 

韓国の監督が福島の映画を撮って申し訳ありません

と言うこの映画の舞台挨拶での監督の謝罪台詞は、あらゆるヘイト感情を一身に背負った鬼才ならではの独特な言い回しだけど、この忘れてはいけない日本人の蟠りを、わざわざ外国の地から訴えかけてきてくれた彼には、本当に頭が下がる。

そんなちょっぴりの恥ずかしさを覚えながらこの映画を観てしまうと、溢れん程の当時の福島原発周辺地域の生の人の声に押しつぶされそうになってしまう、正に劇薬としか言いようのない程の激しい作品だ。

 

「STOP」
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