マリブのブログ

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

映画『パラサイト 半地下の家族』の私的な感想―貧乏の臭いと寿石(スソク)に込められた人の品格―(ネタバレあり)

PARASITE01

기생충/2019(韓国)/132分
監督/脚本:ポン・ジュノ
出演:ソン・ガンホ、イ・ソンギュン、チョ・ヨジョン、チェ・ウシク

 ジャンルに縛られない映画

メイヤーの法則というものがある。

これは、“事態を複雑にするのは単純だが、単純にするのは複雑な作業である”という一種の哲学だ。

映画もこの法則の類に漏れず、監督の伝えたい事を単純化するのはやっぱり至難の業と言え、大抵の作品はそれを端折って観客に迎合する。

 

カンヌを席巻した『万引き家族』に続き、アジア映画として2年連続で最高賞であるパルムドールを獲得したこの映画の余韻は、未だに上手く消化出来ない。

それは、この映画の熱量を感じるのはとても簡単だが、言葉や文章で表現するには、酷く難解なストーリーでもあるからだ。

野球に例えるなら、暴投のようなスローカーブが、内角ギリギリのトコロで160キロの豪速球に変化するような衝撃。

或いは、後半ロスタイム迄ダブルスコアで負けていたサッカーチームが、交代した選手によって、テンポよくハットトリックを決め逆転してしまった時のような驚天動地。。

 

・・うーん、それでもさっぱりこの映画の物凄さは、上手く伝えられそうにない。。。

何にしても、失脚した韓国のパク・クネ政権下で、ちょっと左寄りなその映画の作風に目を付けられてきたポン・ジュノは、奇しくも彼らの読み通り、韓国国民の間に燻る負の感情を、あっさり表現する事の出来る天才監督である事を、皮肉にもこの映画は見事に証明してしまった。

 

韓流ドラマに疎い自分は、『殺人の追憶』以来タッグを組む主演のソン・ガンホ以外、この映画の出演者を全く知らない。

更にその分かりやすさ満点のBGMも相まって、最初は少し失笑気味で観ていると、、

 

そのコメディテイストの温度が、突然変わる。

それは、自分でも全く気づかないくらい、いつの間にか自然に。。

そのキッカケとなる事象、或いは物語のマクガフィンさえ見つけられないまま愕然と眺めていると、登場してきた人物は全て壮大な悲劇へと巻き込まれてゆき・・

 

監督自身はこの映画で、ジャンルに縛られない映画を撮りたかった様だが、その狙いは正に的中。

試写会の会場では、突然やってくるカタストロフィに巻き込まれる展開の中でも、随所に笑いを取り込む監督の演出に、受け手側の感情が一定に定まらないでいた。

つまり、笑っていいのか、集中するべきシーンなのかの判断も分からず、観客は持て余したそのテンションの置き場もないまま、意味深なクライマックスがやってきてしまい・・

 

劇中の長男を演じたチェ・ウシクが歌うエンディングソング「Soju One Glass(焼酎一杯)」は、アカデミー賞の主題歌賞にもノミネートされた様だが、それにゆっくり耳を傾けられる余裕もない。

観客は、自分達が今まで何を見せられていたのか、モヤモヤした頭を整理するので精一杯。

そんな複雑なため息の混ざり合う会場で、自分がなんとなく印象的だったのは、ウシク演じる貧困家族の長男が抱え持つ“石”の存在だけだったが、当然ながら、それは何も語ってはくれず。。


冒頭で、他人から譲り受けるその石は、調べてみると、寿石(スソク)と呼ばれる自然の景色を縮小した天然石、或いは奥深い何かを考えさせられる抽象的な石の事を韓国では指すようだけど、その玄妙な存在そのものが、映画を観終わった後も妙に頭にこびりついて離れずにいる。

 

 

 

 

あらすじ

全員失業中で、その日暮らしの生活を送る貧しいキム一家。
長男ギウは、ひょんなことからIT企業のCEOである超裕福なパク氏の家へ、家庭教師の面接を受けに行くことになる。
そして、兄に続き、妹のギジョンも豪邸に足を踏み入れるが...
この相反する2つの家族の出会いは、誰も観たことのない想像を超える悲喜劇へと猛烈に加速していく――。
Filmarksより引用

PARASITE02

 喜劇と悲劇の境界線

タイトル通りに上流階級に寄生してその生活に入り込む家族の展開は、どこか懐かしいコミカルな韓流ドラマ特有の、ブラックジョークが効いている。

アメリカ製品信者である金持ち夫人が、ちょっと下手糞な英語を使うのもその為だ。

けれど、その抑揚は案外鼻につくものでもなく、意外にも胸にストンと落ちてくる。

要は、劇中の上流家族は有り体の悪役ではなく、ありふれた善良市民

そればかりか、その無神経だがどこかコミカルな芝居が、彼らと対照的な貧乏家族を、切なくもしっかり際立たせるメタファとしても機能している。

 

この時点でもう、その洗礼された演出に、ぐうの音も出ない。

本来なら、分水嶺なはずの喜劇と悲劇の境界線が、この時点で全く存在しないからだ。

 

ソン・ガンホ演じるキテクの一家は、彼らにバカにされているワケでも、コケにされているワケでもなく、ただ彼らの視界に入っていないだけ。。。

この彼我))(ひがの差は、劇中のあらゆる彼らの台詞、或いは仕草に盛り込まれ、半地下生活から抜け出そうとする家族の痛快娯楽エンターテインメントだった景色が、いつの間にか少しずつ変化していく。。

 

PARASITE03

 貧乏の臭い(※以下、ネタバレあり)

あっけなくそのレシピを暴露され衰退した韓国バブルを象徴する台湾カステラ、後進国病として韓国人のプライドをこっそり傷つける結核感染の恐怖等、劇中には韓国特有の事象が盛りだくさんだが、何よりも気になるのは、いつの間にか映画に充満していくその臭い

これは何も、ピルピットもなく半地下家族の住居に取り付けられた妙に高い位置のトイレの臭気から立ち昇ってくるものだけでなく、両家族共に共通する一種の無神経さだ。

 

ひょんなことから富裕層家族の家庭教師になった長男ギウは、綿密とは言いづらい程のあからさまな作戦で、次々と自分の家族を彼らに寄生させていく。

ギウの母の台詞を借りれば、「金持ちだから善良な市民」の彼らは、次々と現れるキム一家の真意を見抜く事も出来ず、夫の運転手から妻の家政婦等を、心地よい協奏曲の音色に併せ、あっさりとクビにしていく。

けれどそこに悪意は欠片もない。

それは、彼らの生活を守る為の単純な作業に過ぎず、つまり善良な富裕層の市民は、感情論ではなく合理主義者であると言えるのだろう。

 

一方、悪知恵を働かすギウ達側も、決して衝動では動かない。

彼らもまた、その人としてのプライドなんかには全く捕らわれず、あくまでも謙虚に、富裕層の心の隙間を埋めていくだけだ。

そうしてお互いの利害が一致した関係は、一見問題なく進んでいきそうになるが、、

 

半地下の家族には、更にその下がいる。

つまり彼らもまた、半分だけ目に見える範疇にいる社会の勝ち組

 

完全な地下で生きる、害虫並みの貧困層の実態を目の当たりにした時、半地下家族が信じ続けていた合理主義が、音を立て崩れ去っていく。。

ここで、気づかないフリをして生きてきた彼らの無神経さと心の貧しさとがイコールで合致し、それでも染みついて拭えない貧乏の臭いが、自由を夢見て個人主義を全うしてきた彼らを、矛盾に取り込んでいく。。。

 

 

PARASITE04

 苦笑いの文化

ワイドな画面構図の中で、それぞれの家族の関係性を端的に切り取られたこの映画の登場人物達は、非常によく笑う。

富裕層家族の夫妻は、余裕と人の好さを表す上品な微笑みを終始浮かべ、寄生するキムの一家は、それに呼応する様な愛想笑い。

豪邸の地下に隠れ住む貧困夫やその妻の元家政婦等も、登場シーンこそ不愛想だが、やがて狂気じみた笑みを浮かべ始め・・

 

その中で私的に最もインパクトがあったのは、キム一家がようやく日の指し込む豪邸のリビングに勢ぞろいし、パク家が留守の間に催す宴の時の、キテクの妻の泣き笑い

これをどう解釈するかによって、外国から見る韓国人への印象が随分変わりそうだが、後半で脳を損傷したギウが終始笑っている事も踏まえて、監督はアジアに蔓延する苦笑いの文化に対する皮肉を、表現したかったんじゃないだろうか?

 

日本人は、困った時によく笑う。

それは本性をひた隠しにし、苦渋の判断の末、言いたいコトを内にしまい込む発作的な衝動なのだと自分達は捉えるが、憎しみの文化に晒された東欧や、最下層の貧困生活に沈む人間達から見ると、その印象はまるで違い、悪意や蔑みに捉えられる事も、ここでちょっとだけ留意しておいてほしい。

 

やがて、その染みついた臭いに気付かされるキテクは、ふとその愛想笑いをやめる。

ここで、貧困に抗う事も諦めていたはずの父は、息子のギウに、最も大切な事を伝えようとするのだが・・・

 

 

PARASITE05

 人の品格

劇中で最も印象的なシーンは、予想外の悲劇に巻き込まれていくクライマックスではあるけど、豪雨によって半地下の部屋から退去を余儀なくされたキテクが、避難先の体育館で息子達を宥めるシーンだけは、いくら咀嚼してみても、その解釈がかなり難しい。

 

自分が初めに感じたのは、無計画な父を目の当たりにし、その歯がゆさに憤りを募らせるギウの鬱憤だった。

それ故、その父の情けなさに勝手に責任感を感じた息子は、衝動的な父とは正反対に、口封じの為地下の家族を殺そうとするのだと。。

 

だけどそれでは、ギウが漠然とした希望を託してきた寿石の意味が、あまりに負のメタファに満ち過ぎている。

自分達の秘密を知られても尚、地下の家族にも慈愛を示すキム一家の描写から見ても、監督は悲劇的な連鎖反応をこれ以上引き起こすだろうか?

 

そんな時、一緒に試写を見た温泉帰りの連れが、いいヒントをくれた。

人間自体はとてもちっぽけで、あらゆる作戦や計画は無意味なコトを、パパは言いたかったんじゃない?」と。。。

つまり、一見人生を投げ出し、貧乏でい続ける事を受け入れたかのように聴こえる彼の台詞は、生きていく上で必要な人の品格を森羅万象に委ねる事を、ひっそりと示していたのかもしれない。

それは))(はかりごとや自分を偽って生きる生活に、終止符を打つ意味でもある。

 

ギウがその殺意を込めてしまった石によって返り討ちにあうのも、彼のさだめ。

冒頭で害虫駆除の煙を取り入れたキム一家が、その効果と全く同じ様に、這い蹲る脱出劇の憂き目にあうのも、また必然な出来事と言える。

更に妄想を膨らますと、自分の子供を分裂症だと思い込む裕福な一家の妻は、その息子の言葉を信じられなかった報いから、ラストで彼に本当のトラウマを植え付けてしまうという・・・

 

ボーイスカウトで習うモールス信号なんて、もうすっかり忘れてしまったが、5Gの世界が始まろうとする現代でも、アナログに気持ちを伝えあう様子は、便利過ぎる社会への警笛だろう。

そんな、科学の進歩と共に、自分達がどこかに置き忘れてきた思いやりの文化を、脚本に緻密に練り込んだ監督の手腕に、絶賛の声が飛び交う観客の反応に異論の余地は全くないけど、さっぱり分からなかった父の真意をスッパリ説明してくれた自分の彼女に、相変わらずのインテリぶった苦笑いしか浮かべられなかった事だけは、今でも酷く後悔している。

 

「パラサイト 半地下の家族」の上映スケジュールはコチラから確認できます。
www.mariblog.jp

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