マリブのブログ

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

映画『アド・アストラ』の私的な感想―ブラピが宇宙の彼方で取り戻すもの―(ネタバレあり)

Ad astra01

Ad Astra/2019(アメリカ、ブラジル)/124分
監督/脚本:ジェームズ・グレイ
主演:ブラッド・ピット/トミー・リー・ジョーンズ、ルース・ネッガ、リヴ・タイラー、ドナルド・サザーランド

 深層世界を掘り下げる宇宙映画

冒頭に登場する痩せた男を、ブラット・ピットと認識する迄ちょっぴり時間がかかってしまった。

ファイト・クラブ』や『セブン』あたりの隆々しい顔つきが、未だに脳裏に焼き付いてしまってる自分にとっては、その生気を失った眼差し自体に、酷く違和感を感じてしまう。。

 

久しぶりの大作スペース・アドベンチャーものかと思い、両手放しで飛びついてはみたけど、どうやら毛色が違う。

冒頭のIMAXを意識した立体映像で、ディズニーな3D映像に引き込まれていくのも束の間、宇宙探索映画にお決まりの派手なアクションも、未知の生命体との接触に予感を漂わすシーンさえ、挨拶程度にしか出てこない。

やがて、地球を横目に見ながら、スクリーンいっぱいに広がるブラピの随分やつれた表情に、自分の老いを重ね合わせたりなんかしていると、ふと彼の元妻を演じるリヴ・タイラーの鋭い言葉が、急に現実へと引き戻してくる。。

その詳細な台詞はショックのあまり忘れてしまったけど、SFでもファンタジーでもヒューマンドラマでさえもなく、どこか哲学的に、人の生き方の深層的な部分をじっくり掘り下げてみたかった監督の強い意志だけは、ゆっくりだが、いつの間にかじんわりと伝わってきた。

 

 

 

 

あらすじ
ロイ・マグブライドは地球外知的生命体を探求に人生を捧げた英雄の父を見て育ち、自身も宇宙士の仕事を選んだ。
しかし、その父は地球外生命体の探索に出た船に乗ってから 16年後、43億キロ離れた太陽系の彼方で行方不明となった。
だが、父は生きていた──。
Filmarksより引用

Ad astra02

 感情の抑制から生まれる新人類(※以下、ネタバレあり)

最近、カメラの写り方に酷くこだわる某有名女優の噂を聴いたけど、映画を見る側は、本当にそんな事ばかりに気を奪われているのだろうか?

流し目で見るテレビドラマならいざ知らす、どうどうとスクリーンに向かい合っている観客からすれば、それは些末な事に過ぎない。

男女優問わず、その皺の一つから顎のたるみ具合、時にはパサついた髪の毛でさえも、本当のファンなら、感慨深く感じるんじゃないだろうか?

それを否定してしまえば、映像上に残る俳優達は人間ですらない。

仰々しいリアクションと台詞を間違えずにしゃべる事だけが彼等の仕事なら、それはもう、感情を上手く解放できなくなった大衆に迎合した上で、彼等を小馬鹿にした傲慢さと言うべきだろう。

 

・・自分が踊らされている、只のピエロである事も知らずに。。

 

今回の主演を張ったブラピには、そんな傲りを微塵も感じさせない没入感があった。

 

独り言を呟くように、宇宙空間での心理検査を受ける彼は、これまでのエネルギッシュでセクシーな男のイメージをまったく拭い去り、インタータイトル通りの、近未来に起こり得る無感情な新人類に徹している。

 

高度30万フィート以上の大気圏にある軌道エレベーターから落下しても、彼は顔色一つ変えずに、被弾したパラシュートで地上に降り立ってしまう。

そればかりか、月面で襲撃してくる武装集団の追手も難なく振り払い、実験台の末狂暴化したエイプ達もあっさりと撃退。

おまけに、火星から43億キロも離れた海王星に、ケフェウスなんてちょっと洒落た名前の宇宙船で父親の捜索の為に一人で旅に出るという荒業まで成し遂げ、その所作は殆どサイボーグの様な振る舞い。

そんなあらゆる出来事を達観し、冷静沈着に任務を遂行する彼の情動を、唯一突き動かすものがあるとすれば・・・ 

 

 

Ad astra03

 ニヒリズムからの克服

アカデミー賞にもひっかかりそうな大作なので、いろいろとこの映画の感想を綴ったブログを見ていくと、かなり面白い解釈を見つけた。

 

◆ニーチェ的思考

フリードリヒ・ニーチェは超人という概念とニヒリズムからの克服という概念を提唱した哲学者だが、その思想を雑にまとめれば「キリスト教の精神的束縛とその影響下にあるルサンチマン(精神的弱者)からの脱却」になる。

ユーセ コーイチ (id:ko_iti301083)さんのブログより引用

 

eizatuki.hatenablog.com


ユーセ コーイチさんによると、

2001年宇宙の旅……科学の視点で再定義する「神」。

アド・アストラ……「孤独」というルサンチマンからの脱却。

 

不勉強ながら、自分は何度も寝落ちしてしまい未だに『2001年宇宙の旅』を最後まで鑑賞出来た事もない精神的弱者なのだが、なるほど、『アド・アストラ』に隠されていた、裏のテーマが少しずつ垣間見えてくる。

 

宇宙という壮大でミステリアスな存在に、善意や悪意、或いは朧げな希望を託す作品は数知れない。

けれど、地球にしがみついている観点の自分達が、究極のユーフォリア(強い幸福感、熱狂的陶酔感)を得られるタイミングは何時なのか?

 

ニヒリズムなんてコトバを聴くと、自分はどうしてもマンダムのCMのチャールズ・ブロンソンあたりが頭を霞めてしまうのけど、その本当の意味はちょっと違う。

 

ニーチェによると、何も信じられない事態に絶望し、流れに身を任せるような生き方を受動的ニヒリズムとし、すべてが無価値で偽りである事を認め、自らが前向きに仮象を生み出す生き方を積極的ニヒリズムという。

 

つまり、化学が進むにつれ、精神性を支える神の存在自体があやふやになり、大多数の受動的ニヒリズムを持つ一般市民の自分達は、劇中のブラピ同様、感情を抑制する事によって、その多幸感を内向的に得ようとする。

けれど、人の性とも言うべき孤独に苛まれる人類が、完全な虚無の広がる現実を、永遠に受け入れられ続けるわけもなく・・・

 

劇中に登場するブラピの父親は、厭世的だが、を捨てない。

しかし、それに捕らわれる事によって彼は孤独を更に広げ、愛していたはずの妻に見放される息子もまた、同じ道を辿ってゆく。。

そんな二人が再会した後にも互いの距離を縮められないのは、長年の蟠りというよりも、加速する個人主義が生み出すエゴイズムが蔓延する中で、親が子に見せ続けていたい生き方の姿勢だからだろう。

 

この説明はかなり難しいけど、、

つまり、永遠に未知の生命体を探し続けようとする父親は、それが科学の為というよりむしろ、人間の尊大さを否定する為に身を挺していた様な気がしてくる。。

 

愛する宇宙映画『コンタクト』に登場するエリーの言葉を借りれば、

「so if it's just us…it seems like an awful waste of space.」
「もし、私達だけじゃ、この広い宇宙がもったいないわ」

この際どいニュアンスが言葉を交わさずとも親子間で伝わったからこそ、父親を失ったブラピが地球に生還した際に、アジア系の兵士にも見える男達に、はにかんだ笑顔を初めて零す仮象を示せたのだとしたら・・

 

その父親役にジョージアのCMでお馴染みのトミー・リー・ジョーンズが抜擢されていると、日本人としては思わず吹き出しそうになってしまうけど、この監督がひっそり込めたニーチェの推奨する積極的ニヒリズムこそが、あらゆる主義や主張、更には人種の異なる民族間紛争をも解決する糸口に思えてきてならない。

 

その作家主義的な異色の宇宙映画のテーマに、欠伸を堪えるのが必死な方も劇場ではちらほら散見したけど、対比的な人の二面性を鋭く追求し、それをノスタルジックな映像美とかなり上手く融合させてくるジェームズ・グレイ監督の剛腕ぶりに、今後の映画界を丸ごとけん引していきそうな程の、圧倒的な魅力と力強さを感じられる映画だった。

 

「アド・アストラ」
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