マリブのブログ

ニ匹ののら猫と一緒に随時三匹の飼い主を募集中の元帰国子女。。オススメの映画やドラマの感想を徒然に紹介しています。

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映画『火垂るの墓』の私的な感想―30年目の真相。戦争が生んだ煉獄―

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Grave of the Fireflies/1988(日本)
監督:高畑 勲/原作:野坂 昭如
声の出演:辰巳 努、白石 綾乃

 唯一無二の悲劇を伝える戦争アニメ 

1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、広島に原爆が投下されました。

日本人にとっては忘れられない日。忘れてはいけない日

自分たちの感覚の何処かに夏に切なさを感じるのは、この悲劇の面影が幼少期から頭に刷り込まれているからな気がします。


しかし悲劇といっても、戦後73年が過ぎ、その恐怖を実体験していない自分たちにはその輪郭自体がどうにもおぼろげ。

最近TBSでようやく連ドラ版『この世界の片隅に』が放送されたことにより、戦争そのものに実感を持てない世代が当時の生活を多少身近に感じられるようにはなってきましたが、本当の実態はどうだったのでしょうか?

 

映画好きではなくても一度は耳にしたことがあるこのアニメ映画『火垂るの墓』は、戦地や兵隊たちの惨劇ではなく、現実に当時日本国内で普通に生活していた人々の生々しい心理を描いた唯一のものといえる戦争映画です。

有名なアニメなのであらすじは今回割愛しますが、2018年、奇しくも同じ月曜日を迎える8月6日に、自分の幼少期に衝撃を走らせたそのトラウマの原因を改めて見つめ直してみます。

 

 

 

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 節子の死因

戦争の罪過を伝える上で、もはや教科書のような存在になりつつあるこの映画の恐怖とはどこからくるものなのか?


劇中、栄養失調により徐々に衰弱していく節子には、直視していられない程の重たい感情が湧いてきたのを今でもはっきりと覚えています。

しかし大人となって今冷静になって考えてみると、ここには矛盾が。

それは14歳の設定で独りで妹の面倒を見る為に戦火の中駆けずり回っていた兄・清太には、同じ食糧事情だったにもかかわらずその症状は出ず、なぜ節子だけが飢餓に陥っていったのか?

それは上記の画像にもあるとおり、戦火の中節子は目にゴミが入っています。

ここから察するに、彼女を見舞った悲劇はただの困窮からの直接的な飢餓ではなく、物語の舞台である兵庫県西宮市に当時多く立ち並んでいた軍需工場からの化学物質汚染による可能性を示唆しています。

ネット上では都市伝説的に噂されるこの事実は、その真偽よりも大事なのは無知の恐怖。

清太や病院の医師等も、当時は放射能やアレルギーに対する知識もさほどなく、むざむざと節子を死に至らしめてしまいます。

この一見原因不明の身体的病が、戦下の日本国全土に蔓延っていた事実には言葉が詰まってしまいます。

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 追い詰められた人の心理

原作者の野坂昭如の実体験を元に描かれたこの映画は、作者自身が戦後も生き残ったように、多少のフィクションが含まれています。

節子の設定は劇中4歳とされていますが、実際には野坂には血の繋がっていない二人の妹がいました。

上の妹はまだ生活に余裕があった時期に病気で死亡しましたが、下の妹は西宮から疎開した先の福井でまだ1歳6ヶ月の若さで死んでいます。

後の彼の著書から引用すると、

・・ぼくはせめて、小説「火垂るの墓」にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持が強く、小説中の清太に、その想いを託したのだ。ぼくはあんなにやさしくはなかった。

 野坂昭如「私の小説から 火垂るの墓」より抜粋

と語る様に、この原作自体が彼の贖罪の意識から描かれていますが、思春期真っ只中の少年だった彼の過失を誰が責められるのでしょうか?

 

それでも劇中の神戸大空襲により自宅を焼失し、家族が大火傷を負った出来事や、焼け跡から食料を掘り出して西宮まで運んだ事、何もしてあげられない赤子の妹の蚊帳の中に蛍を放った思い出等は全て事実。

 

清太たちを追いやる事になった叔母ほど、実在した親戚は彼らに辛くあたった事実はないようですが、困窮していく生活の中で先の展望もなく、身近に甘えられる存在もいないまま鬱屈していった彼の精神状態は想像に容易く、その上で、路傍の石の様な訝しさが日増しに募っていった事にも理解が出来ます。

そして二人の周囲を取り巻く当時の人々の様子には、自分達の生活が追い詰められていく中での他人への冷酷さが色濃く表されていますが、これも察するに現実でしょう。

 

戦争の悲惨さはその狂気より、生死の境が身近になった人間の心理状態にあります。

 

道端に散らばる死体や、一歩間違えれば爆死に繋がる焼夷弾の嵐の中では、人は誰かを思いやる余裕などなく、ただ生きることだけに捕らわれ思考が停止します。

 

自分には戦争の実体験はありませんが、若い頃ポルポト派の大虐殺後のカンボジアを旅した時に感じたのは、その劣悪な環境下で生き抜く子供たちの逞しさ。

彼らは6歳児程度で5~6ヵ国語を操り旅行者たちのツアーガイドをして生計を立てていました。

しかしそれと同時に、周りの同じ境遇の子供たち同士の繋がりは極端に薄く、客を取り合う彼らの間での殴り合いは日常茶飯事。

場合によってはお互いを騙し合い、より高価な金品を奪い合う光景等も幾度となく目の当たりにしてきました。

この容易に諭す事さえ出来ない心の貧困こそが戦争の一番の大罪であり、73年前のこの国にも実際にあった出来事と想像するだけで身が竦んでいきます。

 

 

 

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 抜け出せない煉獄

ここまで書いた上で、他の戦争映画にない言い知れぬ不気味さをこの作品から感じたのは自分だけでしょうか?

 

それは悲惨な戦火の中で人知れず死んでいった清太たちを見守るもう一人の清太の姿

 

今年死去したこの監督の高畑勲は作品に対して、

「決して単なる反戦映画ではなく、お涙頂戴のかわいそうな戦争の犠牲者の物語でもなく、戦争の時代に生きた、ごく普通の子供がたどった悲劇の物語を描いた」

としていますが、幽霊となった清太たちがラストのシーンでは現代の高層ビル街を見下ろしている情景が描かれています。

更に冒頭には、うっすらとですが、清太が戦争孤児として死んだ神戸の三宮駅に公開当時に置かれていた縦長の灰皿が一瞬だけ写されています。

そして劇中には、当時のレートで7千円(現在では800万円前後)の親の貯金を殆ど使用せず窃盗を繰り返し続けている清太の描写も・・

つまり、、

この映画で死んでいった二人には、実は生きてく方法があった事が示唆されています。

 

親戚宅から防空壕に移り住んだ彼らが求めていたのは、二人だけの世界。

それは当時の富国強兵を掲げた全体主義的社会からの逃避でもあり、子供たちが夢見た幻想。

しかし戦火の中では、共同体に属さずに生き抜く事自体が叶わず、清太は節子を心のどこかで見限っていたのではないでしょうか?

 

この圧倒的な悔恨が作品全体に占める異様な空気感を増幅させている気がしてきます。

 

前述した野坂の著書からも分かる様に彼は妹の死にかなりの自責の念を感じています。

海軍士官の父を持ち、元々裕福だった彼らの生活水準も垣間見えていて、その上莫大な遺産を兄弟で手にしていたのにも関わらず、清太はなぜ節子を救わなかったのか?

実はそれこそが戦争に毒された彼自身の闇です。

そして、

「昭和二十年、九月二十一日夜、僕は死んだ」

として始まるこの物語自体が、現在の世界でも尚、清太の意識の中で永遠にループし続けているという煉獄。。

この想像を絶する恐怖が、暗喩的に見る人間の意識の底にとりの残される事によって、深く絶望感を印象付けられる稀代の戦争映画となったのかもしれません。

 

「火垂るの墓」TSUTAYAでレンタル可能です。

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