マリブのブログ

ニ匹ののら猫と一緒に随時三匹の飼い主を募集中の元帰国子女。。オススメの映画やドラマの感想を徒然に紹介しています。

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映画『死の谷間』の私的な感想―ディストピアに生きるアダムとイヴ―(ネタバレあり)

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Z for Zachariah/2015(アメリカ、スイス、アイスランド、ニュージーランド)/98分
監督:クレイグ・ゾベル
出演:マーゴット・ロビー、
キウェテル・イジョフォー、クリス・パイン

 日本人のバイブル

結論から言うと宗教を題材にした映画は結構面白い。

Mother!』や『コクソン』等の映画でキリスト教を大分批評してきた自分が言うのもなんだが、聖書は人間の核心の部分をついてくる。

 

それを自分たちが教義ととるか、詩集ととるか?

 

現状の行き詰った生活に不安を覚え、聖書に描かれた理想の世界に夢を託す心理は分からなくもないが、それは言ってしまえばアニメの世界の住人に思いを馳せる日本人の心理状態にもどこか似ている。

さしづめジブリアニメは、宗教観のない自分たちにとってのバイブルなのか?

とは言えふかづめ氏のブログでも言及されている通り、宮崎駿と高畑勲が本当に伝えたい事を理解している国民は稀だろうが・・

 

ロバート・C・オブライエンが1974年に発表した小説『死の影の谷間』を原作にしたこの映画は、そんなちょっと『風の谷のナウシカ』チックな世界観でヒトの深い部分をだいぶ抉ってくる。

表1に上げた映画のキャチコピーには、そのあまりの陳腐さに涙が零れてしまいそうになるが、この映画はSFサスペンスなどでは全くない

世紀末の中で取り残された人間の深層心理、そして何よりも人が永遠に捨て去る事の出来ないについてしっかり描写されている秀逸な作品だ。

 

 

 

―――核戦争後の世界。
家族と共に自然豊かな山間でファームを営んでいたアンは、家族が生存者を探しに家を出ていってから、長い間ひとりで生活をしている。
そんなある日、彼女は谷底の滝で水浴びをしている男・ジョンに出逢う。
彼は防護服を作る優秀なエンジニアだったが、日の目を浴びれない生活に嫌気がさし、その場所を飛び出してきていた。
二人は生き残った者同士共存する道を模索していくが、その山間の家にもう一人の男・ケイレブがやってきた瞬間から、彼らの関係は狂い始めていく。

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 禁断の果実をモチーフにしたディストピア

先に上げた2作品同様、この手の作品をネタバレなしで感想を書くのはだいぶ難しい上に、ストーリーで述べたような内容の説明は劇中には全くない。

物語は冒頭から荒廃した世界の中で独り生き残ったアンの様子を静かに刻銘し続けていくが、彼女達が抱えていく問題は創世記における禁断の果実をモチーフにしている。

 

禁断の果実とは

禁断の果実'(きんだんのかじつ、Forbidden fruit)とは、それを手にすることができないこと、手にすべきではないこと、あるいは欲しいと思っても手にすることは禁じられていることを知ることにより、かえって魅力が増し、欲望の対象になるもののことをいう。

アダムとイヴはエデンの園にある果樹のうち、この樹の実だけは食べることを禁じられるが、イヴはヘビにそそのかされてこの実を食べ、アダムにも分け与える。この果実を口にした結果、アダムとイブの無垢は失われ、裸を恥ずかしいと感じるようになり局部をイチジクの葉で隠すようになる。これを知った神は、アダムとイブを楽園から追放した。
彼らは死すべき定めを負って、生きるには厳しすぎる環境の中で苦役をしなければならなくなる。

wikipediaより抜粋


つまり、文明が崩壊した後に彼らが生き延びるこの死の谷間は、エデンの園のメタファー。

そして3人の登場人物をそれぞれ、

アン=イヴ
ジョン=アダム
ケイレブ=

に準えてはいるが、ここでこの脚本が秀逸なのは、創世記に記載されている解釈とは違い、ジョンとアンは楽園を追放されないことにある。

 

正面から見ると、一見3人の男女の愛憎劇の様に見えてしまうこの映画は、敢えて一旦俯瞰で見てもらいたい。

 

敬虔なクリスチャンを自負するアンとケイレヴ、そして無神論者であるはずの研究員ジョンがそれぞれ信じるものとは何なのか?

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 宗教観から垣間見える人間模様 (※以下、ネタバレあり)

この映画は世俗の概念で観ていくと、終盤にかけてツッコミを入れたくなる描写が多々散見する。

それは例えば、

①ジョンは、自分に好意を持っているアンをなぜ抱かないのか?
②アンは、なぜケイレヴと一夜を共にしてしまうのか?
③ジョンはケイレヴをなぜ受け入れるのか?
④ラストシーンでケイレヴはどこへ消えたのか?

等だが、上述した禁断の果実の物語を知っておけば、②の問題は何となく理解出来るだろう。

しかし①と③に関しては若干納得がいかない。

ノーマルで考えるとジョンはインポテンツか、只の自身のない男にしか見えなくなってきてしまうが、そこで鑑みて欲しいのがモーゼの十戒だ。

モーセの十戒とは、モーセが神から与えられたとされる10の戒律のこと。
旧約聖書の出エジプト記20章3節から17節、申命記5章7節から21節に書かれており、エジプト出発の後にモーセがシナイ山にて、神より授かったと記されている。

プロテスタントにおける十戒
1.主が唯一の神であること
2.偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
3.神の名をみだりに唱えてはならないこと
4.安息日を守ること
5.父母を敬うこと
6.殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)
7.姦淫をしてはいけないこと
8.盗んではいけないこと
9.隣人について偽証してはいけないこと
10隣人の財産をむさぼってはいけないこと

wikipediaより抜粋

 

このキリスト教の根幹の概念がアタマに入っていると、映画の中に広がる景色が大分違って見えてくる。

アンを欲望のまま抱こうとしないジョンは、姦淫の戒律を守っている信心深いクリスチャンそのもの。

はりきって働こうとするアンに休憩を促す描写や、アンの父親の形見の教会を水車の建設資材の為一度は取り壊そうとするものの、それを頑ななまでに熟慮しようとするジョンの謙虚さには、圧倒的な敬虔の念が感じとれてしまう。

 

ならばジョンが生粋のクリスチャンかというとそうではない。

彼は仕方なしとはいえ、アンの弟を殺し、その罪を隠し通そうとする。

しかしだからこそ、ジョンは贖罪の意識からアンに知識を与え、更に彼女の一番求めているものを守ろうとする。

 

この人間味溢れる彼の行動は、聖書の戒律などといった既成概念をも超え、本来の人間が持つ愛おしさを十二分に感じさせてくる。 

 

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 奇跡の谷に残された者が背負う十字架

つまり、信仰を持たない者こそが一番信仰を熟知しているという皮肉と、形骸化しているキリスト教の反知性主義に基づいて描かれたこの作品は、『Mother!』『コクソン』の様な只の宗教メタファー映画ではない。

それを『それでも夜は明ける』で主演アカデミー賞にノミネートされたキウェテル・イジョフォー、生粋のイケメン俳優として名高いクリス・パイン、更にはあの『スーサイド・スクワッド』のビッチなハーレイ・クイン役で強烈なインパクトを残したマーゴット・ロビーが、三者三葉の人間のありのままを演じているのはかなりの必見。

そしてラストのケイレヴの行方については様々な意見が分かれるトコロだが・・・、

 

ここまで愛を持って聖書の寓話を意訳した監督・クレイグ・ゾベルなのであれば、きっとケイレヴに俗世間的な寂寥感を抱いたが故に、ジョンは殺害ではなく彼をエデンの園から追放したのだろう。

 

ジョンの行動のすべては、未だ純真無垢のままだったアンへの愛情。

しかしそんな彼女の心情変化は、ケイレヴが居なくなった後にアンがガラスのコップを床に落とした事で、図らずともジョンにそれを示唆してしまった事を暗喩している。

 

この描写自体はアンドレイ・タルコフスキーの『ストーカー』へのオマージュとして用いられたシーンの様だが、ラストに納屋に運び込まれたオルガンを弾いているアンの背後には、奇跡の谷に残されつつも、はっきりと十字架を背負った人類の功罪が見事に表現されていた。

 

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