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ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

映画『ナイチンゲール』の私的な感想―銃を向けた鶯達はなぜその引き金を引けなかったのか?―(ネタバレあり)

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The Nightingale/2019(オーストラリア)/136分
監督/脚本:ジェニファー・ケント
出演:アイスリング・フランシオシ、サム・クラフリン、バイカリ・ガナンバル、デイモン・ヘリマン

 アボリジニの歌声

自分達が声と認識する“虫の音色”は、白人にとって雑音に聴こえるらしい。

これは古くから自然に畏怖の念を抱く、日本人だけが持つ特殊な感覚なのか。。

 

実のトコロ、この極めて左脳的な感性を持つ人種は、遠く海を隔てたポリネシアの人々にも共通するらしい。

けれどそれなら、何故同じモンゴロイドの中国人やモンゴル民族に、それがないのか?

 

この独特な感性を持つポリネシア人は、実はモンゴロイドの血脈と同時に、オセアニア大陸の原住民でもあるオーストラロイドの血も引いている。

彼らの自然を崇拝し、スピリチャルな精霊文化を脈々と受け継ぐそのDNAが、同じ島国のポリネシア文化に受け継がれいったのは、なんとなく想像に容易い。

 

一見すると、黒人種にも間違われそうになるオーストラリア原住民種族の中で、極めて原始人種の特徴を色濃く残すそんなアボリニジには、夢幻時=ドリームタイムという概念が存在するという。

world-note.com

 

この概念の解釈は、未だにその詳細が解明されていない、言わば世界最古の原始宗教

 

彼らの価値観に、時間というものは存在しない。

それが例え、種の絶滅の瀬戸際に追いやられた歴史の中でも。。

 

この映画は、そんなアボリジニの歌声に共鳴を得た、悲劇に捕らわれた女囚の話だ。

 

 

 

 

あらすじ
19世紀のオーストラリア・タスマニア地方。
盗みを働いたことから囚人となったアイルランド人のクレアは、一帯を支配するイギリス軍将校ホーキンスに囲われ、刑期を終えても釈放されることなく、拘束されていた。
そのことに不満を抱いたクレアの夫エイデンにホーキンスは逆上し、仲間たちとともにクレアをレイプし、さらに彼女の目の前でエイデンと子どもを殺害してしまう。
愛する者と尊厳を奪ったホーキンスへの復讐のため、クレアは先住民アボリジニのビリーに道案内を依頼し、将校らを追跡する旅に出る。
映画.comより引用

The_Nightingale02

 人種の尊厳を謳う叙情詩

情緒と緊張感を同時にぶつけられたような感覚を覚えるけど、この映画はまず、そのタイトルがよくない。


歴史もので“ナイチンゲール”、おまけに銃を構えた少女の姿が前面に映し出されてしまうと、不勉強な自分達はどうしても、看護婦の方の彼女の姿を思い浮かべてしまう。

 

この映画の指す“ナイチンゲール”は、 西洋のウグイスとも言われるサヨナキドリ

だけど、ヨナキウグイス(夜鳴鶯)や墓場鳥なんて異名も持つこの鳥は、映画の舞台となるタスマニア島には実は生息しない。

 

つまり、このタイトルの指すそれは、その歌声

更に、劣等な近縁種とされたタスマニアン・アボリジニの絶滅秘話と、膨大な歴史考証の末、監督が暴いてくれた極めて真実に近いブラック・ウォーの実態についても、鑑賞前に少し触っておいた方がいいかもしれない。

 

ブラック・ウォー
1800年代前半に起こったイギリス植民者と、タスマニアン・アボリジニーとの争い。
この戦争は公式な宣戦布告無しで開始され、イギリス本土から送られた流刑者までも含めた、島内すべての男性入植者が動員された戦いでもある。1820年代の激しい衝突後、1830年にイギリス人の副総督であるジョージ・アーサーは、タスマニア島内のアボリジニーを一掃するブラック・ライン作戦を立て、タスマン半島へアボリジニーを追い込もうとする。
結果、その種族のすべてを捕捉する事は出来なかったが、タスマニア北部のフリンダース島に、彼らを強制的に移住させる事には成功。
後に、その劣悪な生活環境とヨーロッパ人がもたらした疫病により、タスマニアン・アボリジニーの人口はみるみると減ってゆき、1847年には約40人に迄激減する。
やがて、入植者たちによるハンティングの対象にもされた彼らは、1876年にタスマニア・アボリジナル最後の生存者である女性トルガニニが死亡した事により、その純血種族は地球上から完全に絶滅した。
Wikipediaより引用


歴史の暗部に切り込む映画は数あれど、この、戦争の名を借りた大量虐殺事件の真相に、鋭く踏み入った映画は殆どない。

すると、この映画は暗黒歴史を紐解く壮大なサスペンスなのか?

或いはその中で、復讐に燃えた女のリベンジ・スリラーなのかと言えば・・

答えはそのどちらでもない、圧倒的な精神論を紐解く映画。

更に、上述した ))(うぐいすの声が主題になっている事も鑑みれば、民族浄化作戦の歴史の影で、僅かに漂う人種の尊厳を謳う叙情詩なんて言ってしまってもいいのかもしれない。
 

 

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 ラーの目(※以下、ネタバレあり)

映画を観る時は、そのインパクトが結構重要だ。

この映画は、『ゲーム・オブ・スローンズ』のリアナ・スタークでお馴染みの、主演を飾ったアイスリング・フランシオーシのビジュアル写真が、その劇中に滲み出る全ての怒りを、物語ってしまっているようだけど・・

 

答えはそんなに単純じゃない。

何故なら、その彼女が正面を見据えた眼差しは、片方が覆い隠されているから。。

 

劇中で、夫と赤子を惨殺されたクレアは、その復讐劇の途中から急に怖気づく。

それは、実行犯の一人に憎しみを発散させた事による、達成感からとも言えるけど、、

 

残虐非道の限りを尽くす英国軍人達には、そのそれぞれに高慢、物欲、嫉妬、怒り、色欲、貪食、怠惰と、まるで七つの大罪をすべて背負った刹那的な人間の本性が暴かれ、それでも、彼女自身が迫害を受ける白人の目線と同化した時、彼女は私怨を振り払い、仇相手に暴力に替わってを歌う。

その様子は少し滑稽に映るも、この先史時代からの遺跡を残すアイルランド人の精神論を呼び起こしたのは、紛れもなく、ビリーの生き様にみるドリームタイムの哲学

これに触れた二人や、まだ幼い奴隷の少年兵が、再三銃を向けた相手にその引き金を引けないのは、或いは、監督が意図的に隠喩した森羅万象の摂理なのだろう。

 

この映画のメインヴィジュアルに採用されたジャケットで、鋭い眼光で睨みつける彼女の右目には、ラーの目と言われる所以がある。

 

ラーの目

ラーは、エジプト神話の太陽神。
ラーは自らを崇め敬わない人間を滅ぼすため、自らの片目(右目とも左目とも)を雌ライオンの頭を持つ破壊の女神セクメトに作り変え地上に送り、人間界で殺戮のかぎりを尽くさせた。
 Wikipediaより引用

 

この解釈を持って、この映画を女の復讐劇とするか、或いは、同調を謳う鳥の羽で覆われた方の左目=ホルスの目の意訳を持って、失われた真実を追求した映画として捉えるかは、鑑賞する側の想像力次第だけど、悠久の時を感じさせるビリーの歌と踊りからは、どうしても超自然主義的な望郷の念と、虚構の現実から解き放たれた時の哀愁のような感情が、不意に芽生えてきてしまった。

 

「ナイチンゲール」の上映スケジュールはコチラから確認できます。

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