マリブのブログ

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

映画『サーミの血』の私的な感想―淘汰されていく少数民族の儚い音色―

f:id:maribu1125:20180925163820j:plain

Sameblod/2016(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)/108分
監督・脚本:アマンダ・シェーネル
出演:レーネ=セシリア・スパルロク、ミーア=エリーカ・スパルロク、マイ=ドリス・リンピ、ユリウス・フレイシャンデル、オッレ・サッリ、ハンナ・アルストロム

 赤色の象徴

それにしても僻地に住む民族の衣装はどうして赤色が特徴的なのだろう?

イヌイットまでいってしまうとその仕様は毛皮だが、モンゴル系・チベット系・ツングース系等の民族衣装を思い浮かべると、鮮やかな色彩の中に際立つ赤が印象的だ。

 

この映画に登場するサーミ人たちの伝統衣装も襟もとが華やかな赤紅色に染め上げられているのだが、そんな自分の漠然とした疑問に一緒に観賞してくれていた女性は当たり前の様にこう答えてくれた。

 

「あれは血の色に決まっているじゃない。僻地じゃタンパク質が少ないから動物の血まで綺麗に飲み干すのよ」

 

月経のない男にはこの辺の理解がちょっと鈍い。

そう考えると、藍染めが特徴的なアイヌの民族衣装アットゥシも例外ではないのかもしれない。

 

血の色と聴くと、自分はどうしてもオカルト的な儀式の印象や、殺戮、拷問、紛争といったような物騒なワードがアタマを過ってしまう。

きちんとした知識のある人間からすれば、血液は体内の約1/13を占める最も重要な媒体なので、それを象徴的に衣服に取り入れる風習は理に適っている。

 

つまりこれこそが、潜在的に自分たちが抱える差別意識なのだろう。

 

この映画を鑑賞していくとタイトルでもある『サーミの血』が、そんな浅はかな知識の中でいつの間にか身に着けてしまった偏見への憎悪と、伝統を受け継いでいく事に対する責苦を痛切に問いかけてくる。 

 

 

 

1930年代、スウェーデン北部のラップランドで暮らす先住民族、サーミ人は差別的な扱いを受けていた。
サーミ語を禁じられた寄宿学校に通う少女エレ・マリャは成績も良く進学を望んだが、教師は「あなたたちの脳は文明に適応できない」と告げる。そんなある日、エレはスウェーデン人のふりをして忍び込んだ夏祭りで都会的な少年ニクラスと出会い恋に落ちる。
トナカイを飼いテントで暮らす生活から何とか抜け出したいと思っていたエレは、彼を頼って街に出た――。

Filmarksより引用

f:id:maribu1125:20180925163833j:plain

 迫害されていく民族の意思 (※以下、ネタバレあり)

物語の冒頭で、バイクで自然の中を走り回るサーミ人に地元の女達が嫌悪感を露わにして会話しているシーンがある。

妹の葬儀に出席する為久方ぶりに地元を訪れる老婆となったエレは、それまでの自分の生い立ちを忌み嫌い、サーミ人に対する文句を口にしていたのだが、彼女はココでふと我に立ち返ってしまう。


そのまま感慨深く彼女は自分が生まれ育った雄大な草原を見詰めるが、この僅か5分のファーストシーンに、実は作品に込められた重要なメッセージが全て集約されている。

 

サーミ人の歴史

紀元前9000年頃から、スカンジナビア半島北部ラップランド及びロシア北部コラ半島に居住していた彼らは、野生のトナカイや鮭を狩る等の生活様式で暮らしていた先住民族だった。
しかし1523年に即位したスウェーデンの国王・グスタフ・ヴァーサは彼らを支配下に置こうとし、銀鉱山開発のために強制労働を強いようになる。
その後入植者に土地を奪われたり、ロシア、ノルウェー、デンマークの3カ国が居住地の所有権を主張する彼らに納税の義務を負わせた上、キリスト教の布教の為、彼らが古来から信仰してきた自然界全てのものに魂が宿るとする精霊信仰と祖先崇拝に基づく独自の宗教を弾圧。
20世紀になるとその差別は頂点に達し、ネイティブアメリカンやアボリジニがそうであったようにサーミもまた下等な人種、民族として扱われるようになる。
1935年には「断種法」が制定され、サーミも遊牧民であるが為に「反社会的生活様式」の人々と認知され、強制的な不妊手術を受けさせることが可能になる。
やがて、1977年にようやくスウェーデン政府はサーミをスウェーデンの先住民族であることを公式に認定。
1993年にはサーミ議会が導入され、ついにサーミの代表が国会入りを果たすようになり、彼らのアイデンティティは徐々に確立されるようになっていった。

wikipedia、「KOKEMOMOSweden」―特集:サーミ―より抜粋

 

自分は不条理な差別に抗い続けてきたサーミの歴史なぞこの映画を観るまでは露ほども知らなかったが、その深い蟠りは国境を越えて、どうも日本の琉球やアイヌ民族に対する迫害の歴史にも近い様な感覚を感じてしまう。

 

映画『アナと雪の女王』ではここら辺のデリケートな問題を、安易な映画上のポリコレで処理してしまった様で一部から痛烈な批判を浴びたが、以下の記事を読むと本当に映画業界の浅はかさにため息が漏れる。 

この映画はその誇り高きサーミの血を受け継いだ主人公・エレの若き頃の日々を、ダークな質感のトーンで淡々と描き続けるが、伝統を捨て逞しく新世界で生き抜こうとした彼女の横顔には、終始困惑の表情が伺えている。

 

そして、その人生の終焉が近づいた頃、走馬灯の様にそれまでの過去を振り返った彼女の瞳に写る景色の中にもう家族の姿はなく、彼女はそこで初めて、迫害を恐れていた自分が、迫害する側の人間に回ってしまっている事に気づいてしまう。。

 

そこには森羅万象にも通じる儚い少数民族の魂のルーツがはっきりと写し出され、ラストに流れるファルセットの効いたサーミの伝統民謡ヨイクの音色からは、望郷と共に、彼女自身が脈々と受け継いできた血筋を自己否定し続けてきた半生に対する慙愧の念を強烈に感じさせてくる。

民族差別を扱ったもう一つの名作はコチラ

www.mariblog.jp

 

『サーミの血』
以下のVODで観賞できます。

新作映画も見逃せないならビデオマーケット
(月額540円※ポイント込/無料期間=31日間)
個別課金のみで観るならAmazon Video
(レンタル400円/HD購入2500円

 

sponsored link