マリブのブログ

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

映画『娑婆訶(サバハ)』の私的な感想―ヘロデ王の虐殺に準えた宗教戦争と人の祈り―(ネタバレあり)

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사바하/SVAHA : THE SIXTH FINGER/2019(韓国)/123分
監督/脚本:チャン・ジェヒョン
出演:イ・ジョンジェ、パク・ジョンミン、ユ・ジテ、ファン・ジョンミン、田中 泯

 ヘロデ王の大虐殺

コクソン』の二番煎じかと思い身構えてしまった自分が恥ずかしくなる程、純粋でストレートな思いをぶちまけた映画だった。

 

“サバハ”だか“バサラ”だかよくわからないこのタイトルの響きからは、アラフォー世代ならまず、2019年に急死された荻野真氏の「孔雀王」の世界をまず思い出しませんか?

 

少々グロテスクでエロティックな描写の目立つ彼の作品は、当時の女子ウケはすこぶる悪かったが、多感な頃の少年達でも既視感を覚える事の出来る、日常の延長線上にあり得るダークファンタジーなトコロがこの漫画の人気の秘訣だった。

この作品もそんな日常の奇怪な断片から物語は始まっていくのだが・・

正直言って、冒頭から見せてくるカオス感は、実は結構薄い。

更に韓国映画にありがちなオーバーなSEのおかげで、派手な展開になる事を期待してしまっても、それはきっと裏切られてしまうだろう。

つまりこの映画は、あらかじめある程度目線を整えておく必要があるのかもしれない。

懸命な宗教映画と言ってしまえばそれまでだが、ヘロデ王の大虐殺に準えたこの不可思議なサスペンススリラーには、宗教的な知識はあまり必要なく、ただ“信じる事とは何なのか?”と言う率直な疑問点だけで十分。

ヘロデ王の大虐殺
新約聖書の『マタイによる福音書』2章16節~18節にあらわれるエピソードで、新しい王(イエス・キリストのこと)がベツレヘム(ベトレヘム)に生まれたと聞いて怯えたユダヤの支配者ヘロデ大王がベツレヘムで2歳以下の男児を全て殺害させたとされる出来事。
wikipediaより引用

 

その辺のドラマ性を加味しながら、ちょっと大味なミステリー色に目をつむっていくと、この映画の裏に潜められた人の危うさ宗教の矛盾に、薄っすら気付く事が出来るのかもしれない。

 

 

 

 

あらすじ
新興宗教の取材を生業とする牧師が追い始めた新たな宗教団体。
友人の僧侶の助けを借りてその実態に迫るうち、想像を超える深い闇と恐ろしい秘密が明らかになり…。
Filmarksより引用

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 娑婆訶の意味

娑婆訶(サバハ)とは、日本語読みで言えば“ソワカ”。

これは密教徒が呪文の最後につける祈りのコトバらしい。

孔雀王で言うトコロの“唵、阿毘羅吽欠蘇婆訶”(オン、アビラウンケンソワカ)なんて言う台詞を微かに覚えていたりしないだろうか?

或いは仏教徒の僧侶の隠語的に、男女関係を遂げる“娑婆訶為”(そわかした)なんていう意味合いも持つという。

どちらの意味にしても、ただのサスペンススリラーでは纏めきれないちょっと複雑な後味が込められていそうだが、今回はそんな作中に散りばめられた聴きなれない宗教用語を自分なりに調べてみた解説から始めてみたい。

とは言え、この作品は『mother!』のように論点を意図的にぼかしてくる宗教メタファの映画ではないので、そこら辺のニュアンスがよく分からなくても最期にはきっちり謎の正体は回収されるので、あくまでも参考程度に。。

 

江原道・・韓国北東部の日本海に面した寒村地帯。『冬ソナ』の舞台となった春川市を始め、関東八景と呼ばれる8つの景勝地がある。

アガペー修道院・・物語に出てくる架空の修道院。語源は“無償の愛”

鹿野苑・・ヒンディー語で“サールナート”と呼ばれるインドにある仏教の四大聖地のひとつ。釈迦が最初に説法を行った場所として、劇中ではその隠語として使用される。

檀君・・朝鮮古来より伝わる伝説上の王。彼の逸話は、朝鮮の独立を示す創作説話とされている。

東方教・・物語に出てくる架空の新興仏教の一つ。二元論的な解釈から、マニ教をモデルにした仏教一派の可能性が高い。

 

更にこの映画の狂言回し的なキリスト教の牧師が、極東宗教問題研究所なんて自分達の土地柄に根付いた偽りの宗教を糾弾する団体に属していたり、元々インドの邪鬼から仏教へと帰依した四天王の一人、広目天と名乗る若者が女子を探し回っていたりと、何かと宗教的な臭いを醸し出す登場人物も多いが、この類の名称自体は実はサスペンスの本筋とはあまり関係ない。

ざっくり言ってしまうと、邪教の香りが漂う仏教一派の秘密を暴こうとするキリスト教系の牧師のサスペンス劇なのだが、そのミステリーの謎を紐解くという構図よりは、韓国社会が根強く抱え続ける新興宗教の危うさに目を向けてみると、その深刻さが浮き彫りになっていく。。

 

 

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 韓国の新興宗教問題(※以下、ネタバレあり)

思えば、韓国には新興宗教問題が意外に多い。

近年では、シャーマンに国の未来を託してしまった韓国史上初の女性大統領・朴槿恵(パク・クネ)氏のスキャンダルや、統一教会を立ち上げた文鮮明(ブン・セイメイ)等。。

更には日本のオウムやサリン事件にまで言及し、洗脳によって道を外していく人間達に恐怖を感じていく牧師の姿は、広く自分達にも当事者意識を持たせる為のサービスカットなのだろう。

そしてこの手の差別に晒された人間達は、追い詰められた宗教家によって、やがて更に病んだ深い社会の膿を出す狂戦士へと変貌していく。。

 

この映画には、そんな彼らが自分達の宗教や慣習の矛盾に戸惑いを見せる描写が数多く散見する。

大学時代の友人が外国での宣教師活動の最中、「神の意志」と信じて疑わない異教徒の子供によって妻子を殺されたパク牧師。

新興宗教団体が祀り上げる広目天に仕立て上げられたナハンは、幼き頃、娼婦だった母をその元締めの父親から解放する為、彼を殺害する。

物語の鍵を握る双子の少女の妹・グムファは、古い風習の中で忌み嫌われている姉に憎しみを募らせつつも、閉鎖的な寒村の慣習から抜け出し、都会的な生活を夢見る素朴な一面も伺わせてくる。

 

つまりこのミステリーの謎解きの軸は、それぞれが信じて疑わないものへの迷い

しかし、、

赤い部屋で、母の膝の温もりを微睡みるナハンに近づく闇はあまりにも深く・・

 

一見、ホラー映画のようにも見えるこの手のシーンで、視聴者はおぞましいものを見せられているかのような錯覚に陥るかもしれないが、日本人として唯一チベットからやってくる高僧として出演した田中泯は、劇中でこの事象についての大きなヒントを述べている。

此(これ)が有れば彼(かれ)が有り、此(これ)が無ければ彼(かれ)が無い。此(これ)が生ずれば彼(かれ)が生じ、此(これ)が滅すれば彼(かれ)が滅す。

なんだか難しい説法のようでいまいちピンとこないかもしれないが、これは此縁性(しえんしょう)という実際に釈迦が説いたとされる仏教の根本的な概念の一つで、言わば因果論である。

 

つまり、人が決して消すことのできないこの煩悩に救いの手を差し伸べようとするキリスト教義的な救世主の降臨は、果たして善なのか?悪なのか?

ひいては、業に打ち勝ち不死の体を手に入れた弥勒菩薩と、肉体からの解脱そのものを目指すキリストとの壮絶な心理戦へと発展していくのだが・・

 

ラストにパク牧師が粉雪舞う夜空を見つめ、そんな神々の戦いの中で無残に散ってゆく人々の事を祈る姿は、まるで万人の宗教家が夢見る桃源郷のようで、あまりに儚い。

 

・・或いは儒教国家でもある韓国が、孟子の性善説と荀子の性悪説の狭間で揺れ動いている心象風景そのものなのか・・・

 

監督のチャン・ジェヒョンが、この映画のマスコミ試写で感極まり涙を浮かべたように、その問題意識の高さがかえって裏目に出てしまい、ちょっとエピソードがとっ散らかってしまった感は正直否めない。

けれど、周辺大国の影に怯え、新興宗教が乱立する現代の韓国社会の時世の中、その文化の中で彼が垣間見た人々が縋りつく神々の無情さ弱者の悲痛な嘆き声だけはしっかりと伝わってきた。

 

・・因みに監督は、自分が愛してやまない絶世の美女、チョン・ジヒョンとは全く関係ないようなのであしからず。。。

 

「娑婆訶(サバハ)」Netflixで鑑賞できます。

www.netflix.co

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