マリブのブログ

ニ匹ののら猫と一緒に随時三匹の飼い主を募集中の元帰国子女。。オススメの映画やドラマの感想を徒然に紹介しています。

      
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映画『ザ・バニシング-消失-』の私的な感想―二つの金の卵が暗示するもの―(ネタバレあり)

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SPOORLOOS/1988(オランダ/フランス)/106分
監督:ジョルジュ・シュルイツァー
出演:ベルナール・ピエール・ドナデュー、ジーン・ベルヴォーツ、ヨハンナ・テア・ステーゲ、グウェン・エックハウス

 反社会性パーソナリティー障害を持つ男の真理

子供の頃、ブランコを漕いでいる友人が、その手を放してしまう妄想を抱いた事はないだろうか?

半円を描く弧が次第に深くなっていき、彼らの目線の位置に大空が入った瞬間に、そのまま羽ばたいていけるんじゃないかと錯覚してしまうあの感覚。。

或いは、学校の廊下の非常ベルを見つめ、無性に押してしまいたくなる衝動にかられてしまうあの時の感覚なんかでもいい。

 

この手の類の、現実的、倫理的に人がしないであろう行動を無意識のうちに想像してしまう人物は反社会性パーソナリティー障害を持つ人間の兆候らしい。

 

けれど、ストイックな持論を持つ映画人の代名詞の様なこの手の感覚を、横文字の病名だけでくくられてしまうと、どうしても異論を唱えたくなってしまう。。

・・というより、むしろ今、この道徳観念に異存がある時点で、自分も十二分に病んでいるのだろうけど。。。

 

この映画に登場する男たちも、まさにそんな矛盾を心の隅に秘めた人間達である。

 

それを病的な疾患ととるか、真理の追求ととるかで、この映画の持つ恐怖の深度は若干変化していく。

 

今回はそんな彼らと同じような心の闇に憑りつかれた社会不適合者の自分から、その想像しうる人間の真の恐怖を探ってみたい。

 

 

 

 

 

あらすじ
7月、オランダからフランスへと車で小旅行に出掛けていたレックスとサスキア。立ち寄ったドライブインで、サスキアは忽然と姿を消してしまう。
必死に彼女を捜すも手掛かりは得られず、3年の歳月が経過。
依然として捜索を続けるレックスの元へ、犯人らしき人物からの手紙が何通も届き始め・・・。
Filmarksより抜粋

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 出逢いの予感と別れの予感(※以下、ネタバレあり)

スタンリー・キューブリックを震撼させ、サイコ・サスペンス史上No.1の傑作と謳われたこの映画には、実はまったくと言っていいほどビジュアル的な恐怖は存在しない。

残虐な殺戮シーンはおろか、血糊のついた凶器ひとつ出てこないこの作品を見て、観客はどこにその怖さを感じるのか?

 

それはまず、この作品の至る所に漂っている予感だろう。

 

冒頭に登場するカップル、レックスとサスキアはトンネルの中で、ガス欠になり立ち往生する。

その寸前にサスキアの語る金の卵の夢は、その後の二人の運命を示唆している予感だ。

更に、トンネルの向こうで待っている彼女、インターのトイレから戻ってくる彼女と、その後の二人の顛末は、全て再会と対比する別れによって暗示されている。

つまり観客は、この時点で二人は必ず再び出逢う事を脳内に刷り込まれるが、それが既に反社会性パーソナリティー障害を持つレイモンの視点から投げかける恐怖なのだ。

 

その後、レイモンに手紙で呼び出されたレックスは、彼と待ち合わせをするレストランで新しい恋人リーネケとテーブルに座っているが、そのヌケには霞んだシルエットでレイモンがしっかり映り込む。。

これもレックスとレイモンがいずれ巡り合う事を意図的に暗示させ、彼らの周囲に起こる出来事には、全てその事象とは逆説的の恐怖が立ち込める。

 

この演出技法がすこぶる上手く、観客は出逢いによって別れを予感させられ、すれ違う事によって巡り合う事を常に予感させられてしまう・・・

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 フィックスの画で撮られる暗喩の画力

つまりこの映画は、ヴィジュアル的な恐怖を生み出すホラー映画や、謎解きや緊張感を与えるサスペンス映画というよりは、 人間の深層心理を極限まで追求するサイコスリラーとして紹介させてもらいたいのだが、何よりも目に留まるのは、そのフィックスの画の画力

レイモンがその家族と中庭で食事をしているシーンでは、彼がテーブルの下に蜘蛛を仕込む事で娘達が悲鳴を上げるのだが、その妻の叫び声だけは低くうねり声をあげる程になぜか異質だ。

それは彼が後に起こす事になる殺人計画の為のテストでもあるわけだが、このワンカットで、誘拐された後のサスキアの絶望と恐怖のどん底に突き落とされた顔が浮かび上がってくる。。

冒頭の彼女の夢に出てくる金の二つの卵も、その姿こそ想像を膨らませるより仕方ないのだが、暗闇から近づく車のヘッドライト、木立に埋められた二枚の銀貨等によって、抽象的だが、その輪郭を朧げに観客に垣間見せてくる。。。

 

このそれぞれの暗喩は、だいぶ感覚を研ぎ澄ませていかないと感じられない恐怖でもあるが、だからこそこの映画の秘める画力は凄まじい。

 

近年ではこの手の暗示的な恐怖を、発達した映像技術によってハンディキャメラの手振れ感、情感を引き立たせるSE音、作品によっては人物の表情にCG処理まで施して観客に分かりやすく伝えようとしてしまっているが、それはあまりに安直過ぎる。

 

というより、画が動くだけでその緊張感が半減してしまうという感覚は、もう自分だけなのだろうか?

 

古く日本の映画界では、この手の静止画で捉える画角に工夫を凝らし、黒澤明は雨に墨汁を混ぜ悲壮感を再現し、韓国のキム・ギドクは極限まで俳優達を追い込んだ。

その熱量がスクリーン越しに伝播し、受け手の想像力を否応なく研ぎ澄ませてきたはずなのだが・・

 

 

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 善と悪の分別

そんな想像力を限界まで広げていくと、この作品を見終えた後には一つの素朴な疑念に晒される。 

それは、倒錯した悪癖を持つこのレイモンの行動は、果たして本当になのか?

 

殺人の肯定ではないが、社会的にも一見理想的な家族を持つこの男は、純粋に誰もが信じて疑わないはずの道徳的概念に疑問点を投げかけている。

 

レイモンが川で溺れている少女を助け出した時、その少女の口から洩れるのは、命を救ってくれた彼への感謝の言葉ではなく、自分の大切にしていた人形を置き去りにした事への恨み節。。

ここで彼にはその人道的善行が、その相手の立場に立った場合、本当にいい事だったのかという迷いが生じていく。。。

これを苦笑いで済ましていくのが、真っ当な大人としての責務なのだが・・・

 

冒頭で紹介した通り、ここで反社会性パーソナリティー障害を持つ人間達は、その逆の真理を追求してみたくなる衝動にかられてゆく。

 

つまり善行では上辺だけの称賛しか得られないが、悪行の果てには本当の喜びが得られるのではないかという妄想癖。。

 

映画のラストシーンも、大抵の観客からすれば、不気味さを滲ませるバッドエンドにしか見えないかもしれないが、それはサスキアの運命を心底知りたがっていたレックスからすれば、彼が絶望に晒された叫び声を上げたとしても、或いは希望が叶った望み通りの結末であるとも言える。

 

そしてそれが彼女の夢の中で見る再会する二つの金の卵のメタファーだとすれば、彼らは孤独から解放された世界で、幸せな最期を締めくくったハッピーエンドにもなり得るという・・

 

近年一辺倒なモノの見方で、猟奇殺人鬼の真理をうやむやに終わらせてしまう時勢の中、この手の逆説的手法でその恐怖を増幅させてくる演出の作品を、ようやく日本で劇場公開させた配給会社アンプラグドの判断には惜しみない称賛の声を届けたいが、そんな不条理な事件の顛末のすべてが、彼らが緻密に練り上げた計画を遥かに凌駕する偶然と必然の産物によって引き起こされた事件である事を頭に留めておくと、この映画の持つ恐怖の背後に、社会の闇に潜む不逞者から目を背ける人間達への辛辣なアンチテーゼが潜められている様な気もしてくる。

 

「ザ・バニシング-消失-」
12月11日より字幕版が販売されます。 

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