マリブのブログ

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

映画『嘆きのピエタ』の私的な感想―聖母マリアの憎しみから生まれるもの―

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피에타/2012(韓国)/104分
監督/脚本:キム・ギドク
出演:イ・ジョンジン、チョ・ミンス、ウ・ギホン、カン・ウンジン、クォン・セイン

 底辺で喘ぐ者

貧乏に理由なんてない。

冒頭からいきなりそんな事を言ってしまうと、なんだか身も蓋もないけど、この映画を見る時は、それぐらいの心構えが必要。 。

 

日韓関係が露骨に悪化する中で、今更こんな映画に手を出すヒトも少ないだろうけど、直視したくないほどの辛い現実が待ち受けている時になんかこそ、敢えてその更に底辺で喘ぐ者に目を向けてみるのも、また一興。。

 

ドラクエで言えば、HPが限りなくゼロに近い時に勝負するボスキャラ戦。

料理で言えば、月末の苦しい台所事情の時に、知恵を振り絞る創作料理・・?

 

人は案外、追い込まれている時にこそ、尋常じゃない裏技を繰り出したりする。

 

・・あわよくば、飽和した感覚の時には気づけない相手の痛みを知れるなんて事も。。

 

そんな風にして、近年、稀にみるこの禁断の鬱映画を一度直視してみませんか・・・?

 

 

 

 

あらすじ
30年間親の顔も知らず、天涯孤独に生きてきた男イ・ガンド(イ・ジョンジン)。
債務者に重傷を負わせ、その保険金で、利子が10倍に膨らんだ借金を返済させる、血も涙もない借金取立て屋である。
そんなガンドの前に、ある日、ガンドを捨てた母だと名乗る謎の女(チョ・ミンス)が現れる。
ガンドは信じず、彼女を邪険に追い払うが、女は執拗にガンドの後を追い、アパートのドア前に生きたウナギを置いていく。
ウナギの首には、「チャン・ミソン」という名前と携帯電話番号が記された、1枚のカードが括り付けられていた。
躊躇いつつも、ガンドが女に電話をすると、子守唄が聴こえてくる。
ドアを開けると、そこに、涙を浮かべながら歌う女が佇んでいた。
「母親の証拠を出せ」と詰め寄るガンドの、残酷な仕打ちに耐え、彼から離れようとしないミソン。
捨てたことをしきりに謝罪し、無償の愛を注いでくれるミソンを、ガンドは徐々に母親として受け入れていく。
そしていつしかミソンは、ガンドにとってかけがえのない存在となっていた。
Filmarksより抜粋

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 貧しさの意味

心の貧しさと、貧乏は直結する。

あくまでもそれは持論だけど、この映画を見れば、それはある程度納得出来るだろう。

 

心を持たない男と金。

更に、その無機質で侘しい感覚の中で喘ぐこの映画の登場人物達を見れば、誰しもが必ず暗いキモチになる。

そして、そんな闇の中で、一筋の希望を見つけようとすれば・・

 

ありふれたクリシェだけど、誰しもは無償の愛に憧れる。

 

男なら母性愛、女なら共依存。

子供なら、献身的な愛情を自分に永遠に注ぎ込む親の愛情のそれなんかだろう。

・・例え、その全てが、自己愛からくるものだとしても。。。

 

タイトルの“ピエタ”とは、古くミケランジェロが哀れみや慈悲の精神を込めた、彫刻や絵画の事を指すと言う。

それならば、その嘆きとは・・?

 

スリラー映画の様で、孤独な人間達の群像劇をサスペンス要素まで含めて描かれるこの映画を、キム・ギドクは全額自費で出資し、興業成績に準じその配当を決める、オールスタッフ・キャストノーギャラで撮影したらしい。

その結果、韓国初のヴェネツィア映画祭で最高賞に当たる金獅子賞を受賞し、ヨーロッパを初めとする世界20カ国にその配給権を売却した上で、韓国国内でも60万人以上を動員。

 

正しく結果論だけど、、

彼はこの大博打に、それなりの勝算を持って挑んでいたような気がしてきてならない。

 

それまで、シュールでノワール、更にビビットでアーティスティックな作風で知られてきた彼は、思う様にその映画の興行成績が伸びた作品は意外に少なく、収益面においては、実はそんなに成功していない。

そんな彼が、性懲りもなく、また真正面から開き直って韓国社会に蔓延する貧しさの実態を描くダークな作品を撮ると聴いた時、誰しもが苦笑いを浮かべた。

けれど、蓋を開けると実はその正反対で、翳りの見え始めた国内の経済事情ともちょうど上手く融合し、キム・ギドクの作品群の中でも、この映画は異例の大ヒットとなる最大の興業成績を収める作品へと成長する。

 

つまり、人の闇の部分を根こそぎ露わにするヘンタイ監督と罵られ続けてきた彼は、その行き場のない深い貧しさの中で喘ぐ人達に、更に深い貧しさに憑りつかれ沈んでいく人間のストーリーを見せつける事で、何かを訴えかけたかったのだろう。

 

クラシックなこの作品のパッケージとは違い、映画に出てくるキャラクターは、借金取りや障がい者、或いはその貧しさの意味さえわからずに気怠い日々を過ごすありふれた住民達が溢れ、キム・ギドクお得意の露骨な性描写や、サイコパスな人間の複雑な心理描写なんかも殆どでてこない。

 

全裸監督』で再び脚光を浴び始めた村西とおるの自叙伝には、帯にちょっとエッジの効いた格言が載っている。

人生、死んでしまいたいときには下を見ろ!おれがいる

そんな、かなりの破壊力を持つパワーワードが、この映画の入り口。

けれど、その憤りや激しい憎しみ、場合によっては、達観し孤独を受け入れてしまっている人にでさえ、この映画は共感力を産む。

 

それは、超現実思考の主人公でさえ、何かにきっちり怯えているからだ。

 

タイトルの“嘆き”とは、そんな先天的に同情心も持たない人間の瑕疵と苦悩そのものだが、それを救うキーワードは、この作品の至る処に散りばめられている。

男女で見れば、その違いは幾つも見つけられるだろうけど、お互い心が荒みきった時にこそ、その共感性は鋭く胸に突き刺ささってくるはずだ。

 

そんな、様々な疑問符を投げかける映画の持つパワーを万人に問いかけてみせた事が、この映画の勝因だろうけど、「憎しみは憎しみしか生まない」というダークテイストなヒューマンドラマお決まりの常套句は、この映画を見ると、ちょっとそのニュアンスが変わってゆく。

 

金は人の心を壊し、その壊れた心に憎しみが宿り、やがて復讐心へ。。

しかし、その復讐を遂行させるには、人間性を失わない限り完結できない。

この心の矛盾こそが、映画のモチーフでもあるけど、この映画の主人公の様に、どんなに心を凍らせて生きてきたとしても、無条件に人はそこにしこりを感じてしまう。。

 

絶望と希望が交互に押し寄せるこの映画は、それなりに見るものの体力を奪う。

けれど、悲観論者であれ、楽観主義者であれ、最期の衝撃的な結末に思いを巡らす事こそが、絶望や不安に晒された者を癒すロキソニンにもなり得る。

 

この万人が懊悩する“ピエタ”をどう解釈するかで、その憎しみを持つ相手への慈悲の心が試されてしまうけど、聖母マリアに準えた母によって、キリストを待ち受ける受難のような悲劇に見舞われる孤独な主人公の男のラストは、自分にはどうしてもハッピーエンドに見えてきてしまった。。

 

「嘆きのピエタ」は以下のVODで観賞できます。

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