マリブのブログ

ニ匹ののら猫と一緒に随時三匹の飼い主を募集中の元帰国子女。。オススメの映画やドラマの感想を徒然に紹介しています。

      
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映画『マグダラのマリア』の私的な感想―キリストに捧げる究極の愛情―

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Mary Magdalene/2017(イギリス)/120分
監督:ガース・デーヴィス
出演:ルーニー・マーラ、ホアキン・フェニックス、キウェテル・イジョフォー、タハール・ラヒム

 人道主義的なキリスト教の精神

最近、光村図書の中学の国語の教科書の中に『作られた“物語”を超えて』という人類学者山極寿一氏の著書がある事を知った。

彼は霊長類学者として30年以上のキャリアを積んでゴリラの研究に携わってきた実績から、その動物に対する人間側が勝手に作り上げてきたイメージを通じ、“物語”における主観と客観の相違点に言及している。

彼のコメントからそれを引用すると、

「物語」を読み解くとき,作った側の視点ではなく,作られた側の視点から検討することが必要だという思いをこの文章には込めたつもりです。「物語」の裏側には,必ず作った側の意図があり,時にそれは正当化の手段として成立しているからです。
光村図書/山極 寿一(人類学・霊長類学者)のインタビューより抜粋


この意見は全く正しい。

それは、自分達が見たいものだけを見る習性にも表れている様に、人は時に史実さえも自分達の都合で捻じ曲げてしまう。

 

歴史上の人物に対する自分たちの思い込みもその一つだろう。

 

この映画の主人公“マグダラのマリア”には、映画『ダヴィンチ・コード』からの影響からか、どうしても謎めいた闇の女、或いはキリスト教史における禁断のタブーを犯した娼婦のイメージが付きまとってしまうのだけれども、それは後世の宗教家たちの手によって創り上げられた虚像であった事がこの作品からは伝わってくる。

 

コクソン』等の様に、偏った見解で伝えられてしまうキリスト教義的精神の根幹は、本来は実直な人道主義

 

この作品の監督ガース・デイビスは、『LION ライオン 25年目のただいま』でも描いてきた、人が本来持ち合わせるさり気ない優しさを主軸に、宗教史の中で捻じ曲げられてしまったマグダラのマリアの人間性にきちんと触れている。

そんな政治利用の為に勝手に神格化されてしまった太古の人間達の苦悩と憤りを、スピリチュアルな部分も少々織り交ぜて見せてくれるこの映画は、猜疑心と煩悩に捕らわれまくる現代人にとっても、ちょっと目を通す意義のある作品に感じられる。

 

 

 

 

―――紀元33年のユダヤの国。
ローマ帝国の後ろ盾の元、ヘロデ・アンティパス王が引く圧政に、ユダヤ人は日々苦しめられ続けていた。
各地で反乱が頻発し、平和とは程遠いその時代で、彼らの唯一の救いはユダヤ教に予言されていた救世主の訪れ。
そんな神の国の到来を告げられる日を待ち望む大衆達の中で、マグダラのマリアもまた、自分の存在意義と教義上の蟠りの中で、苦悩を続ける日々を送っていた。
やがてその街に伝道師としてやってきたキリストと巡り合った彼女は、彼の教えの中に僅かな希望を感じ、使徒になる事を決意するのだが・・

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 マリアが貫いた幸福論

マグダラのマリアと言えば、古くはマーティン・スコセッシの『最後の誘惑』、昨今ではメルギブソンが監督を務めた『パッション』等でも、どうしても罪深く信心深い女の虚像として映されがちだが、この映画においての彼女は実に清々しい。

キャスティングにおいて、憂いのある顔つきのルーニー・マーラや、ギリシャ神話の彫刻の様なデフォルメのホアキン・フェニックスなんかにキリストの大役を務めさせたトコロなんかをみても、その誇張が少々過ぎる気もしてくるが、それは一部の熱心なキリスト教信者たちに対する忖度からだろう。

しかしそれは逆に言えば、この難しい人物像にガース・デイビス監督が十二分に配慮をした上で、その人道主義的な見地からのキリスト達の受難に鋭く踏み込んでみせた意欲作でもある。

マグダラのマリアにおける論争は、長い間彼女を聖人やキリストの妻、或いはただの娼婦としてみたりとその謎は尽きないが、史実かどうかはさておいても、この作品に登場する彼女には、しっかりと温もりが感じられる。

 

つまり、監督が見せてくれた劇中のマリアは、全くの人間。

 

それを女性の主張など全く相手にされなかった時代においても、健気にその信念を貫き通す意思の強い女の人物像として清貧に描かれている。

 

そんな中で最も印象的だったのは、キリストを裏切る密告者ユダを演じていたタハール・ラヒム。

彼は『パリ、ただよう花』で演じてきた様な粗野で臆病なキャラクターそのままに、自分の見たかった奇跡を起こす為にキリストを売った男としてのかなり巧みな芝居を見せつけてくれた。

それはまるで、冒頭で紹介した山極寿一氏の主張にもある様に、圧政に耐えるあまりに露見していく人の究極のエゴイズムを表していもいる。

そしてその人の勝手な理想論が純粋な意思さえも歪ませ、愚民を統率する上での都合の良いカタルシスを生み出していってしまう事も・・・

 

映画のラストでは、マグダラのマリアが長年受けてきたその誤解が、近年では瓦解してきたかのような言節があるが、それは歴史的誤認が解けてきたという事実だけに留まってはならない。


監督が劇中で描いてきた人間味溢れるキリスト像を鑑みても、その教えの根底にある相手の痛みを思いやる事ができる人間こそが神の国へと誘われる者であるという意味を少し咀嚼してみるべきだろう。

つまりこの映画はキリストの神聖さを肯定しているわけでも、太古の昔から囚われ続けてきた女の自由を謳っている作品でもなく、一人の男を心底愛し抜いたからこそマグダラのマリアが到達する事のできた人間の幸福論をテーマにした作品だ。

「私の考えを、願いを、不幸を、家族の名誉を傷つけることを恐れている」

と嘆くマリアの苦悩は、2千年の時を越えた現代においても、回りを気にするがあまりに思った事を口に出来ない臆病な者の在り方そのまま。

それをスピリチュアルな奇跡を通じて、キリストがどう受け取ったかの解釈で判断が分かれるトコロだろうが、大衆が思い描く幻想の救世主論の果てに、ふたりだけが分かり合う事のできた友愛の精神を通じ、暗黙の裡に通じ合えていた究極の恋愛感情を追求してみせてくれた作品に、自分には感じられた。

 

『マグダラのマリア』
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