愛しのアイリーン/2018(日本)/137分
監督・脚本:吉田 恵輔/原作:新井 英樹
出演:安田 顕、ナッツ・シトイ、河井 青葉、田中 要次、福士 誠治、伊勢谷 友介、木野 花
吉田恵輔監督作品の飛躍
原作のあの難しいテーマをよくこの130分に纏めてみせたのかと感心させられてしまう。
どうやら映画版『ヒメアノ~ル』で見せた吉田監督の才能は本物のようだ。
照明技師上がりの異例のキャリアの監督だが、その光源の取り入れ方といい、アンバーの使い方といい、作品の随所に温もりが感じられる。
しかしそんな技術的なコトだけじゃなくて、彼の才能の最たる所以は原作漫画のキャラクターのココロをしっかり深掘りしているトコロ。
近年流行りのキャラクター重視主義の漫画原作の映画化は、どうしてもその上辺だけをなぞる傾向が強い。
しかし、それにはどうしても限界がある。
二次元の世界に妄執し続けるのは、そろそろやめにしませんか?
ちょっと話が逸れたが、つまり吉田監督による漫画の映画化は、そのキャラクターから膨らませた人間性をしっかり表現している。
ビッグコミックスピリッツで95年から連載されていたこの原作のアイリーンは、実はナッツ・シトイほど可愛らしくもなく、主人公の岩男はヤスケンほど病的でもない。
それでもこの映画を観てキャラクターの乖離が激し過ぎると声高に叫ぶ人は少ないだろう。
それは認知度の低さの問題かもしれないが、監督はそれぞれのキャラクターが秘める内面の顔を実写版の俳優にきちんと投影させてきているからのような気がしてくる。
―――東北で農家を営むツルと源造の息子、宍戸岩男。
彼はまもなく42歳にもなろうとしているのにまともな恋愛経験すらなく、同僚のパチンコ店に勤める子持ちの女・愛子に淡い恋心を抱くだけ。
そんな鬱憤を晴らすかのように、日々オナニーに勤しんでいる彼を見かねたツルは、最愛の息子の為に必死にマトモな嫁探しを始めるが・・
原画に命が吹き込まれたキャラクター
少子高齢化や地方の嫁不足、外国人妻への偏見やそこから派生する偽装結婚による売春契約等といった社会問題がてんこ盛りなこの作品だが、そこら辺のアンチテーゼは大手の映画感想記事に任せて、自分は監督が見つめようとした本当のテーマを探ってみたい。
前述したように、この映画のキャラクターの見た目は原画とはだいぶ違うが、監督がこの映画に込めたメッセージは正にそこにあると自分は確信している。
一番分かりやすいのは、愛子だろう。
原作の彼女は潤んだ瞳のやや肉付きの良い腰回りが特徴的な聖母のような女性だが、この役を演じた河井青葉はスレンダーな元モデル美女。
設定として、岩男が恋していたのにも関わらず誰にでも股を開いてしまう彼女を美化しているかのように見えるが、むしろその逆だ。
ある程度の女性経験がある男は40も過ぎれば、外見よりも温もりを求めるようになる。
つまり原作の愛子こそ疲れた男が辿り着く女の理想像で、粗食主義の様な瘦せぎすの河井には実はそれほど魅力を感じない。
しかしそんな彼女こそがメディアに踊らされた現代の愛を知らない女性の典型像で、そんな彼女の不幸の香りにヤスケンがどこか惹かれていってしまうのは至って自然だ。
そしてもう一人印象的なのは、アイリーンを連れ去ろうとするヤクザ・塩崎を演じる伊勢谷友介。
彼の設定はフィリピーナの母親の血を引く混血の女衒(ぜげん)だが、原作で彼は、
「俺たちの父母の不幸は愛憎のみで結ばれてしまったことだ」
なんてその生い立ちを憎むほっそりとしたインテリ風情のビジネスマンの様ないでたちで登場する。
だが、これを実写でやってしまうときっと酷く滑稽に写るだろう。
本物の裏街道を歩いてきた男は、瞳のぎらつき具合が違う。
それは『ゴッド・ファーザー』のマイケルを演じたアルパチーノの様に、薄汚れた世界を凝視し続けてきた代償だ。
そこに骨ばった骨格で目力が鋭い伊勢谷を持ってきたのは、正に監督が塩崎の持つ闇を見抜いたからであって、彼は原作の様に偏見に塗れた日本人を憎悪しながらも、心の何処かで本物の愛を探し続けている哀愁を感じさせる。
つまりこの映画のキャストは、至ってリアルな現代の日本人の特徴を見事に透過していて、その上で本物の愛の在り方をまざまざと見せつけてくる衝撃作だ。
原作の設定を尊重しながらも、吉田監督がそんな漫画のキャラクターに深みを与えてくれた事によって、自分たちは本当の意味での愛のカタチを見つめ直す事ができる。
愛と性の矛盾 (※以下、ネタバレあり)
映画上では省かれているが、原作では貧困から日本人男と結婚したアイリーンに、スナックで働く同じフィリピーナのマリーンが以下のような台詞で彼女を諭すシーンがある。
「金と優しさと言葉しか武器にできない男はニセ者だからね」
※原作漫画はeBookJapanで試し読みできます。
敬虔なクリスチャンであるが故に、まだ初体験も済ませていなかった彼女はそこから様々な事を学んでいく。
実写版ではこの台詞こそないものの、アイリーンはセックスに飢えている岩男にそう簡単にはヤラせてくれない。
それは家計を助ける為、岩男から故郷への仕送りをせがむとしてもだ。
「結婚とは、長期専属売春契約だ」
なんて嘯く某映画監督の言葉が頭に浮かぶが、だからこそ売春婦としてやってきたアイリーンには愛を探す権利がある。
二人はある事件によって結局結ばれるが、その愛のあるセックスは長続きせず、岩男は箍の外れたサルの様に愛子とも情事を重ねるようになる。
そんな岩男に劇中の愛子は、
「岩男さんがもっと積極的だったら、もっと早くにこうなっていたのに・・」
なんて零す台詞があるが、自分には、現代の自尊心の低い女性との情動的なセックスの需要が増してゆく傾向への警笛の様に聴こえてきてしまう。
一方では女性の平等な権利を主張する声が高まってきているというのに・・
本当の女の幸せ
自分はこの映画をとある親しい女性と一緒に観賞した。
それはかねてからヤスケンの大ファンだった彼女への気遣いでもあるが、「二人で歩む、地獄のバージンロード」というキャッチコピーに只ならぬ意思表示を感じたからだ。
観賞後、自分は吉田監督の秀逸さとヤスケンを含めた全てのキャストの壮絶な演技にすっかり感心してしまっていたが、彼女の顔つきはどうも曇りがちだ。
問いかけてみるとそれは作品自体の魅力云々の問題ではなく、どうもアイリーンに投影された女の幸せにどうしても疑問を感じてしまった様だった。。
・・ここら辺は多分、性欲に対する男女の見解の違いなのかもしれないが・・・
男はセックスで女の心を根本的に満たせられないコトを知っている。
劇中の岩男がようやくアイリーンと結ばれた後にも愛子と情事を重ねてしまうのは、それを本能的に悟ってしまった彼が、行き場のない衝動を抑えきれなかっただけに過ぎない。
つまり俯瞰で見れば、田舎の街の安月給でアイリーンの故郷の一家を丸ごと養い続ける事など彼には出来なかったはずだ。
ましてや言葉も通じず差別と偏見に塗れた過疎化した社会で、更に命を狙われながら自分だけを溺愛する年老いた母親の面倒を見続けさせる事なんて到底不可能だろう。
そんな事がふいに頭を過ってしまった岩男が、アイリーンに冷たい態度で接するようになるのは随分胸が苦しくなるが、男にはちょっと理解出来てしまう。
岩男が彼女をすっかり愛し始めてしまったが故に・・
きっと岩男はそんな自分に早く愛想を尽かせて、新しい幸せを掴み取る彼女の手助けをしたかったのだろう。
厭世主義な男はこのナルシズムを相手への気遣いと直ぐに錯覚しやすい。
それは女の幸せに想像力が及ばず、つい逃げ出したくなってしまうからだ。
劇中の岩男はそんなアイリーンへの思いを森の木に刻み続け、果てにはあっけなく凍死してしまう。
この映画のカタストロフィに自分たち男は美学を感じてしまうが、女の求める本当の幸せはきっと原作のマリーンの言葉通り、金でも優しさでも言葉でもなく、ただ相手が側できちんと向かい合って寄り添い続けてくれる事なんだろう。
原作でのアイリーンはその最終話で岩男との子供を身籠った後に、新たに伴侶を見つけ逞しく生き続けていく描写が描かれているが、映画ではこのハッピーエンドをあえて見せなかった事によって、夫となる事に自信の持てない全ての男への監督からの細やかなエールにしたかったのかもしれない。
映画のラストに流れる奇妙礼太郎のエンディングソング「水面の輪舞曲」 は、そんな自分の心へと深く染み入ってきた。
『愛しのアイリーン』は
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